昭和42年9月5日 夜のご理解

 信心辛抱と言われる。神信心には、辛抱することが、1番大切でございます。と信心することだけでは、ないでしょうけれども、信心には、とくにその信心することが1番大切という仰っしゃる。辛抱することが1番大切と言うのは、どういう様なわけで、辛抱しなければならんのだろうか。と、そこんところが、分からせて貰うと、辛抱の楽しみ。辛抱の喜び。ということが分かってくるとね。それは、辛抱することでございますから、楽なことではございません。言うなら、成る堪忍は、誰でもする、成らぬ堪忍するのが、真の堪忍と言う様に。成る辛抱なら、誰でもする。辛抱し抜く。普通では、辛抱出来ないというところを辛抱し抜かせて頂いてこそ、初めて辛抱になる。まあ、そういう辛抱をなぜ、しなければいかんのか。なぜ、信心に特に大事なのか、そこんところを分からせて貰うと、辛抱することの楽しみと喜びが頂けます。
今日は丁度、9時頃だったでしょうか。え、野口さんが、お参りして見えまして、今1日おきに参って見えるんです。お届けされます中に、娘さんのともこさんがお父さんの勤めておる会社に勤めております。もう、3年になりますでしょうか。2年目頃にもう、とにかくそのいやで、いやでたまらなくなった。もう、同僚の方達が、次々と止めていかれる。だから、自分もどうでも、止めたい。と、もう、それは、実に深刻なものであった。そこんところをあの、お母さん、あの、ご神意を頂いたら辛抱する。と、言うことだから、辛抱しなさい。と、言うて、まあ、言うなら辛抱させたんですが、なら、1年もの余りの間にどういうことになってきているかと言うとおかあさん、あの時辛抱しとって良かったということである。ね、本当にそのあの時どうしてあげん止めようごたったじゃろうか。まあ、それから、会社の手当ですかね、条件も良くなるし、同時にやっぱり長い女事務員さんが10人程おりますけれども、その中では、1番辛抱しておるというので、まあ、待遇も良いし。ですから、もう、お母さんにそう、1年前のことを言うてですね。本当にあの時に、よう辞めんでおって良かった。私は、もう、結婚するまで、あの会社に勤めるとこう言っておると言われるのです。ですから、ほんと、そういうところの辛抱をし抜かせて頂いて初めてその次のおかげを頂けれるというのだけではなくて、もう、いけなかったら、もう、辛抱しきらないと思うたら、もう、辞めようというところにですね。もう、辛抱しきらない。そうだったらですね、もう、辛抱する、いわゆる、その、その辛抱しない癖がつきますとですね、それからが、一生私は、台なしにしてしまう。と、まあ、本気で、一つお互いが辛抱し抜かせて頂きまして辛抱することが、ありがたいんだということが、分からして頂いたら、辛抱する力が出来る。それが尊いのだ。と言うてはなしたことです。ね、皆さんでも、同じこと、やっぱり、あのここは、辛抱できんというところを、ね。辛抱し抜かせて頂く。これは本当にそうです。ね、例えば一つの事件事なら事件事でもです。もう、言いたいことが、もう、ここまで、あるけれども、神様が言うなと、こう仰っしゃる。大きゅうなれと仰っしゃる。言うちゃならん、とも仰っしゃる。もう、言いやあ、本当に胸のすっきりする様にあるのだけれども、しかも、その問題が、早く解決する様にもあるけれどもそこの、辛抱し抜けしきらんところをです、辛抱する。ね、そこにはですね。やはり、特別な神様の働きというものがある。ね、例えば妊産婦の人達に言うなら、ね、本当にお困りなことでございましょう。難儀なことでしょう。と言わないようなもの。本当なことがわかったら良いものが産み上げられてくる。新しい生命が産み出されてくる。ですから、それは、きつくても、そこは、やはり、十月十日なら、十月十日という辛抱が必要なのである。また、産みの苦しみというのが、必要なのである。けれども、それは、新しいものが、生まれてくるから、それが、辛抱できる様に。信心させて頂くものは、特にそこんところは、わからにゃいかん。何のためにこの辛抱せんならんのだろうかと思うのです。これは、いよいよ良いものが、生まれてくることのための前提だな。もういよいよ苦しくなったら、もう、いよいよ生み月間近しと思うて間違いないのです。そういうすばらしい真実がです。辛抱からしか、生まれて来ないのです。ね、私共がですね。もう、そこの辛抱しなければならんところを、しだごだにしたところに、やはり、生まれてくるものがしだごだなんです。そこんところを本当に神様任せになって辛抱し抜かせて頂くところにそれこそなるほど、こう言う、すばらしいおかげが生まれて来るための辛抱であった。あの修行であったと言うことがだんだん体験に伴のうて分かってくる様になるのです。ね、分かってくる様になるから、これから、また、辛抱しなければならない様なことが、起こってもです。それが、楽しいことになるのです。いや、この辛抱し抜いたら、どういう神様がおかげ下さろうと思うとんなさるだろうかという。どういう徳が受けられるだろうか、というものが生みなされてくるだろうかという楽しみが生まれてくるのです。これは、もう、絶対のものですから、このところの辛抱をですね、良いかげんにしたんでは、決して良いものは、生まれてきません。ね。ですから、今日は、私は、野口さんの娘さんのともこさんの話からです。ね、あんなにもいやでいやでたまらなかったことを言うなら、泣く泣く辛抱し抜かせて頂きよったら、どうして、あの時に辞めようなんて思うただろうか、辛抱しておって良かった。いや、もう、私は結婚するまでは、あの会社に勤めるという様に楽しゅうその勤めが出来る様になる。ありがたく勤めれる様になる。しかも、それがです。これからのともこさんの辛抱の力にもなるということになれば、大したことでしょうが。同時になぜ、辛抱しなければならないか。それは、丁度、妊産婦の方達がやはり、大きなおなかをして、やはり、そこんところを辛抱し抜かせて貰うようにまた、特にいよいよと言うときには、産みの苦しみが、ある様に、それでも、それをです。いやなこと、困ったこととせずに、目出度いこととして、ありがたいこととして受けていく様にです。ね、そういう良いものが、生まれてくる前提に必ず、辛抱しなければならない。もう、辛抱しきれないという様なことが、あるのだけれども、そこんところの神様の願い、思いというものがわかってくるとです。その、辛抱する時は、苦しいけれども苦しい。けれども、ここんところを辛抱し抜いたら、どういうおかげが、展開してくるだろうかと思うただけでも、楽しゅうなってくる。そういう辛抱させて頂きたいと思うですね。そういう意味で辛抱が大事なんですよ。どうぞ。